machicoo’s diary

アラフォー既婚子ナシ転妻

子供は産めない、親は看取れない

このところ、母親のせん妄がひどい

父への行動監視は起きている時ずっと
何をしても何をしなくても不満のようだ

それに自分の病状の心配は
今起こっていることに加えて
過去の治療の記憶とこれからどうなるのかという不安を
独り言のように話す時もあれば
私に聞いてくることも多い

情報を整理して
今必要な事実だけを
本人、父、病院に対して
心のケアを中心に判断して、丁寧な言葉で伝えていくのが私の今できることだ

母の心配事のひとつに
私には側にいて欲しいが、娘をずっと拘束している訳にもいないという葛藤もある

それはどちらかと言えば
母親のために看病しに来ている娘さんが大変だ、という世間の声を気にしてのことだと思うので、その辺りの配慮として、私はできる範囲でやっている、という態度で接したい

いや、もちろん純粋に、私に心配かけまいと、シャンとしている姿を見せようとしてくれるところは、素直にありがたいと思うし、今後も目に焼き付け、心に刻んでいたいと思う


これとは別に
私自身の、「子供がいなくて寂しい」という思いについて、少し前進できる理由ができた

今は母のことを優先に私の生活は決まっているが、こうなると、親の面倒を見るのにあたって、自分の人生は大きく変わってしまうと実感した

これに対して自分は、犠牲になっているとは思ったりしていなくて、むしろ働くこともなく、母の看病をさせてもらえる感謝の気持ちすらある

それは夫や父に、稼ぐ能力があり、高額医療費や生活費を支払うことが出来ているからだ

もちろん、人を思いやる気持ちがあることが大前提ではあるが、ガンの治療にあたってかかる費用を捻出することや、看病する人にかかる出費を考えると、どうしたってお金の心配があるかないかということは、重要なことだと思う

今、で考えるのなら
子供がいないので親に時間もお金もかけられている

将来、で考えるのなら
もし子供がいたとしたら、この負担を子供に背負わせる心配はないのだと、いうこと

少し悲しい思い込みもチラつくところだが、現実を見ると、これも間違えてはいないと思っている

今までこんなに時間があったのに、子供を持つことが出来なかった、欲しかった、という思いは、時々生じて後悔をすることも全くないとは言えないので、居なくて良かった、なんてことにはならない

そんな私は強くない

でも、今とこれからで考えていくのならば、これまでの選択の結果によって得た「安心」を私は持っている

子供を産むにも、親を看取るにも、とにかくお金の心配がありすぎる日本

純粋に、生命の循環に加わることができない自分を少し残念に思うこともあるけれど、私の決めてきた決断は人にとやかく言われることではない

私は私に嘘をついていないし
その選択は間違えてはいない

自分は自分で良いのだ
伝わる人にだけ伝われば良い